日本時代の牢屋に入った!水牢も|台灣新文化運動紀念館(旧台北北警察)

台湾社会学習
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こんにちは!たまごです。

先日偶然通りかかった「蔣渭水驛站」という展示室で、職員さんに勧められた「台灣新文化運動紀念館」に行ってきました。2018年に改装工事を経てオープンした記念館です。

ここは旧日本政府の警察署で、蒋渭水のような社会運動家を、政治犯として逮捕して拘束したり、水牢で拷問したりしていた場所です。牢屋の一部には実際に入ることができて、牢屋の中にも拘束されていた人たちの言葉が展示されています。水牢そのものの中までは入ることはできませんが、水牢のある部屋は見学できます。

今回見学してきてとてもおもしろかったので、レポートしたいと思います!

▼「蔣渭水驛站」の紹介はこちら

1920年代の台湾はどんなだったか?

1895年、日本が日清戦争に勝利し台湾を植民地にします。その後、日本軍が台湾人の制圧を行い、台湾は日本政府に統治されるようになります。日本政府がやってきたことでインフラが整備されるなど、よいこともありましたが、基本的に台湾では日本出身者が台湾出身者よりも身分が上、という考え方に基づいて、様々な差別がありました。

▼たとえ同級生でも、台湾出身者(本島人)は日本出身者(内地人)には敬礼しなきゃいけなかったそう…。台湾人からしたらいちいち腹が立ちますねー!積み重なった不満が、後の様々な事件につながっていきます…。

1920年代は、東京などで起こっていた大正デモクラシーなどの社会運動が、留学などで来日していた台湾の若者にも影響を与えます。様々な不平等をあきらめて受け入れるのではなく、自分たちが運動を起こして変えていこうという動きです。

1937年に日中戦争が始まると、戦争で大日本帝国の役に立つ人材を育てると言う目的で、「皇民化運動」「皇民化教育」が進められていました。台湾出身に人たちにも日本出身の日本人と同じ教育を受けさせ、日本語を話させ、日本人のクローンのような人民を作り上げる政策です。それでも台湾出身者はいつまでも差別され続けます。

この記念館では、こうした難しい背景の中でもあきらめずに、言論の自由や、台湾人による自治を追い求めた人々が紹介されています。

一階の前半:台湾の社会運動の始まり・発展・分裂…

一階の、入って右半分が台湾の社会運動の歴史の紹介、左半分が牢屋になっています。まずは前半の右半分から見学します。

1920年代当時の台湾の社会運動の拠点は大稻埕が中心となっていました。当時の大安医院をはじめ、重要な場所の当時の様子と現在の様子をうかがい知ることができます。

1920年以降、台湾の各地で社会運動が盛んになり、台湾人による初めての政党:台灣民眾黨が結成されます。

▲1930年に日本人管理官不在のスキに国連へ送られた密告電報。日本政府がアヘンで台湾人を腐敗させているという内容です。

台灣民眾黨はその後党員を全国に増やしますが、だんだん意見がバラバラに割れてまとまらなくなり、様々な別の党になりちりちりバラバラに別れてしまいます。(自由っていうかなんていうか…なんだか台湾人らしいといえば台湾人らしいかも?)蔣渭水が「民族は団結せよ、団結こそ力なり」と説きますが、みんな聞いたこっちゃありません。

おもしろいのは、当時は台湾にも「共産党」があったことです。今は共産主義的なものは、輸入もすべて禁止になっていますよね!

台湾の各地で、自由な討論を乗せた各種雑誌も発行されるようになります。そのうち有名なものが「台灣民報」です。しかしこれらも、日中戦争、太平洋戦争が始まると、名前を強制的に「興南新聞」に変えられてしまいます。そして、戦争の邪魔になると考えられた場合は、文字を塗りつぶされてしまいます。(戦争中言論の自由がなかったのは、日本本島でも同じでしたね。)

▼塗りつぶされすぎだろ!と思わずツッコミを入れてしまいたくなる雑誌。

▼数々のクリエイティブな表紙の雑誌。中には今見てもかなりオシャレだなぁと思うものがけっこうあります。ヘタウマっていうんですかね?かわいいです…。すごくそそられる表紙なので「これって手に取って読んでみてもいいですか?」と聞いたら係員さんに「それね、白紙なの♡」と言われてしまいました。ショック!よくみたら壁にビッタリ貼り付けられていました(笑)

その奥に行くと大きなスクリーンがあって、当時の社会運動と関わりの深い場所の写真が大きく映し出されます。定位置に立ってスクリーン上の写真を指さすと、画面が反応して、合計3つの重要な場所の写真が映し出されます。そこで突然職員さんに「マスク外して!マスク外して!!」と言われました。何かと思ったらその後すぐに写真撮影され、自分が映った映画ポスター風の写真ができあがります。画面にQRコードがあるので読み取って自分のスマホに保存できます。さすが台湾、遊び心があります…。

一階の後半:牢屋&水牢エリア

一階部分の後半は牢屋で、中に水牢もあります。

水牢のある部屋は威圧感があります。私はオーストラリアのタスマニアでも、旧刑務所を見学したことがあるのですが、敷地面積や牢屋の種類や器具などは向こうの方が多かったものの、こちらの日本式の牢屋・水牢の方が精神的に追い詰められる感じがすごいです。政治犯を捕まえている場所なので、心をへし折ることが目的なんだと思います。

精神的に強い方だと自負している私ですが、この部屋に入った時点で絶望的な気持ちになります。こんな部屋に入れられてもお上に屈服しなかった人たちの志の高さに敬服します。

この水牢の仕組みですが、単に冷たい水に放り込むというのではないんですね。床から天井がわずか120センチで、たいていの大人はかがんでいなければなりません。頭が出るギリギリのところまで注水されるので、座ることもできません。

水牢の中に入ることはできませんが、中の様子を観察できるカメラが何台もついていて、モニターで観察できます。操作方法が難しいのですが、うまくすると、この水牢設備を製造した日本企業名の部分も見られます。内壁に刻まれています。

二階の特別展 「青年的誕生」 開催中〜2021年5月16日(日)まで

2階は特別展で、数ヶ月ごとに異なる展示をしています。現在は「青年」・・・民主主義や、社会運動に目覚めた若者たちをキーワードとした展示を行っています。

パネル展示がほとんどですが、青年をキーワードに様々な角度から1920年代の台湾の動きを見ているところがおもしろかったです。

中でも同じ時期の東アジア・・・日本・台湾・中国・韓国の民主主義運動などについて、どんな動きが起きていたかが一目でわかるパネルがよかったです。

実はこの記事の冒頭で貼っているYou Tubeのビデオもこの特別展で流されていました。様々な事件の解説もあって、若い人にもわかりやすいような展示になっていると思いました。

小学校低学年くらいのお子さんもけっこう来ていたのでびっくりしましたが、お子さんはもちろん、もうちょっと大きい中学校〜高校生の学生さんには特におすすめです。

最後にポストイットでメッセージを貼れるところがありました。「民主主義」「台灣是台灣人的台灣」(台湾は台湾人のものだ、という社会運動家たちの名言)などの他に「國語100分」(中国語のテストで100点取りたい)といったちょっとバカっぽい願いごとのようなものもあって微笑ましかったです。

おわりに

以上、台灣新文化運動紀念館を見学した感想でした。社会運動に興味のあるかたはもちろん、建造物好きのかたや、牢屋に興味のある人にはおもしろい施設だと思います。昔の建物が綺麗に残され/修復されていて、タイルの質感や色合いも綺麗です。一階の入って左手のところにカフェ”八斤所8Jin Café”もあります。牢屋ならではのブラックジョークの効いたメニューもあるそうなのでご興味のある方はどうぞ!

アクセス

施設名:台灣新文化運動紀念館(旧台北北警察)

開館時間:火曜日から日曜日 9:30~17:30

    ※月曜休館

    ※旧正月などは変更の可能性あり

    ※日曜日は(1)14:00~ (2)15:30~のガイドツアーあり(約1時間, 定員20名)

電話:+886 (0)2 2557 0087 #204 王先生(予約)

入館料:無料

    ※コロナ対策のため、入ってすぐのところで居留証か身分證の裏にあるバーコードを読ませます。ない方はパスポートなどの身分証をご準備下さい。

地図:

近くにある蔣渭水紀念公園 アクセス

この記念館のすぐ近くに、蔣渭水紀念公園もあります。普通の公園ですが、渭水の立派な銅像と彼の人生の紹介、名言が記されています。記念館参観のついでに寄ってみてはいかがでしょうか。

▲奥の碑の裏側半分は日本語、半分は英語になっています。

地図:

雑感:台湾は生まれたてホヤホヤの国

私は台湾の民主主義に興味があるので、この記念館はとても楽しめました。台湾で戒厳令が解除され、言論の自由が解禁されたのは1987年以降のこと、ほんの30数年前のことです。それまでは国民党の悪口を言うのはご法度でした。1996年李登輝氏が国民からの投票で総統になるまで、台湾の人たちが本当に自分たちで選んだリーダーが民衆を代表して引っ張っていくと言うことはありませんでした。

私の個人的な感覚の話になってしまいますが、この1996年が台湾の生まれた年のように感じます。それまでは外からやってきた人たち・・・オランダ人や、どこかからやってきた鄭成功だったり、中国の清朝だったり、大日本帝国だったりと、とにかく元々台湾で生活していた人たち自身が選んだリーダーではなかったわけですね。台湾人による台湾の統治という意味では、まだ生まれてからたった25年の、新しい国だと思っています。

私と夫(台湾人)は同い年で1980年代生まれですが、体験してきた子ども時代が全然違います。私が生まれた年は東北新幹線が開通しますが、台湾では第二次大戦後に台湾で起こった228事件の最後の受刑者が、やっと釈放されています。日本人の私の受けた学校の日本史の授業は卑弥呼から始まり、基本的に日本列島で起こったことを勉強しますが、台湾人のが学校で受けた自分の国の歴史の授業は、ひたすら中国大陸の歴史で、途中の日本統治時代についてはほとんど触れられず、「中国の国民党が日本に囚われていた台湾島を助けに来た」、というストーリーになっていたそうです。

第二次大戦後、日本は他の国を踏み台にして自分だけものすごいスピードで経済発展をしていきました。もちろんその裏には私たちの祖父母や父母世代の並々ならぬ努力がありました。でも日本人で、「台湾が好き」と言いつつも、台湾が日本の植民地だったことを知らない人がいることには驚かされます。原因はその人自身だけにあるのではなくて、学校でちゃんと教えないということも、大いにあると思います。別にものすごく詳しくなる必要はないけれど、「台湾が好きだ」という方に、台湾ってどんな国なのか、日本とはどんな関係があったのか少しだけ考えてみてほしいです。

私は、はからずもコテコテの本省人と結婚し、台湾人は私の親戚になりました。うちの夫はできが悪いので、普段は彼のことをケチョンケチョンに言っていますが、彼の民主主義への思いは尊敬しています。2020年、李登輝前総統が亡くなったというニュースを見る夫の、赤く潤んだ瞳は忘れられません。私は国民ではないので参政権はありませんが、これからの台湾がどうなっていくのか見続けていくのは楽しみです。

今日もお付き合い頂きありがとうございました^^

コメント

こばやし・たまご。台湾新北市在住。東京でのサラリーマン生活、オーストラリア留学を経て、2016年より台湾企業に勤務。
ムカつくこともあるけれど、私、台湾が好きです。

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