こんにちは〜たまごです!
台湾の現地採用(台湾現地の人含む)って、本当にクビが多いんです。家族経営で、組合とかもない会社が多いので、突然切られるパターンも多いです。
ある日突然クビになったら?救済措置はあるのか!?
日本人のTさんの事例について、2回に分けてご紹介します。この記事では、Tさんがどんなふうに勤めていてどんなふうに解雇されたのか、続編では、移民署での手続きや、台湾労働部での弁護士への無料相談などについてお話します。
「簡単にクビ」にされるのは現地採用あるあるです。今まさに困っている方や、海外就職に興味のある方の心の準備のためにぜひ見ていただきたいと思います。
高雄の商社をクビになったTさん
念願の台湾就職を果たしたけれど…
これは日本人の友だちのTさんの場合です。(ということにさせてください。)
とある業界の原料専門商社の市場開発要員ということで採用されたTさん。社長と台湾人社員さん2人とTさん、そして会長というか、社長の夫でパトロンの、計5人の小さな会社です。
Tさんにとっては初めての台湾での就職で、それまで働いていた日本の仕事を辞めて入社しました。
彼女は当時ほとんど中国語が話せませんでしたが、日本語と英語でコミュニケーションが取れれば、中国語は必要ないと言う条件で入社しました。社長が日本語を、同僚が英語を話せたためです。当時のTさんの個人的な目標として、2〜3年後には中国語を話せるようになりたいと思っていたので、「この就職はチャンスだ、その会社に勤めている間に中国語の勉強をして、数年後にステップアップできればいい」、と考えていたのです。
入社する前に社長から、担当する予定の商品が、新しく開発された画期的な原料であることをひたすら聞かされます。Tさんにとって未経験の業界でしたが、その商品に期待していて、自分でも専門書を読んで勉強するなど、その商品を売り出すのをとても楽しみにしていました。
ところが、実際に入社して3ヶ月ほどたった頃、潜在顧客にサンプルテストをしてみてもらうと、その商品は全くの不良品であることが判明しました。どの会社にテストしてもらっても、どのロットをテストしてもらっても結果は同じです。
勤務先の社長に社員みんなでこのことを報告したのですが、担当者であるはずの社長はなぜか仕入先の工場(北京)と連絡を取ってくれません。本来であれば、社長が責任を持って北京の工場まで行って/少なくとも電話して、なぜこのような商品ができたのか、該当のロットだけが問題なのか、などなど、検証することが必要です。でも社長はなぜかそうしてくれませんでした。
あとで別の社員さんに聞いてみると、どうやら社長は北京の担当者のことが「苦手だった」そうです。なんでもコミュニケーションを取りづらい、人当たりの悪い人だからということらしいです。
商売をしていれば色々な人と出会うし、苦手な人とでも最低限のことは意思疎通をしていかなければならないと思うのですが、どうやらその社長はそう言う考えはなかったそうなんですね。
社長の日本語の意味がわからず、すれ違う
社長はそうやって自分が話をしやすい人だけを選んで仕事をしてきた結果、「20年以上日本企業とのビジネスをしている」割には日本語がそこまで上手ではありませんでした。
日本に出張に行った時も、買い物のたびに店員さんが社長が何を探しているのかわからず困っていて、Tさんが傍から小さな声で、社長の日本語を「通じる日本語」に通訳していました。
その後も社長が日本語を言い間違えたり聞き間違えたりすることがたくさん起こり、そのことで起こった不都合なことは全部Tさんのせいにされてしまいました。
小さなことですが、例えば社長と話をしている時、日本語的には明らかに社長のターンなので返事を待っていると、「返事にずいぶん時間がかかりますねぇ」といやみを言われたりしたこともありました。
名古屋空港の案内図を準備してくれというので、「名古屋空港でいいんですね」と確認すると「そうだ」というので準備したところ、社長が本当に欲しかったのは”名古屋国際空港(セントレア)”のほうだったと分かり、「取引先の前で恥をかいた」と怒られたことも。
「お客様に見積もりを送る時、仕入先のXXさんを同じメールのCCに入れて」と言われたこともありました。仕入れ先に、Tさんたちの売値が入ったメールを送るのは少し気になりましたが、関係の深い取引先には稀に販売価格を教えるケースもあるので言われた通りに送りました。ところが、後で「なぜCCに入れたの」と言われました。(ただこれに関しては社長も自分が言い間違えた心当たりがあるようで、あまり強くは言われませんでした。)
あまりにおかしなことが続くので、心配になったTさんは同僚に「自分がおかしいのかどうか」聞いてみました。すると、同僚は「社長は時々自分でも気づかずに色々言い間違えていることがある、少しでもおかしいと思ったら、急ぎだと言われても何度もよく確認して。もし社長に聞きにくかったら私たちに聞いてもいいから」と言われて、少し気が楽になりました。でも社長の様子は一向に変わりません。
(この同僚ですが、とても頭のいい人で、いつも社長の先回りをして色々準備をしたり、社長の尻拭いをしたりしている優秀な人でした。)
まだ日本人営業職を投入する段階ではなかった
社長はTさんが試用期間を終えた入社4ヶ月目くらいですぐにバンバン売り上げを上げると勘違いしていたので、Tさんがただの金食い虫のように思えたのではないかと思います。
実際には、新商品が売れるかどうかの市場調査も全く始まっていない段階でした。営業員を投入するのはまだまだ早かったと思います。(後で色々な会社の総経理やマネージャーに、「日本の新市場の開発にどれくらいの期間を設定するか?」と聞いたところ、皆「3~4年」との回答でした。半年もせずに軌道に乗ると思い込んでいた高雄の社長が世間知らずだったのでは?と思います。)
当初Tさんが売る予定だった商品が不良品だと分かった後、他に立て続けに色々な関連性の無い商品—厨房機器など—を売れと言われ、そのたびに市場調査をしましたが、どれも日本でもっと性能の高い商品が、Tさんたちの商品よりも安く販売されていて、競争力がありませんでした。
電話で売り込みをしましたが、聞いてみると、多くのお客様はやはり価格だけでなく、継続して使用できることを希望していて、商品を使って万一事故などがおきた時のための、賠償責任保険に入る必要性についても指摘されました。
しかしそれを社長に言うと、「年間で7万元以上かかるので要らない」と言われてしまいました。理由は「厨房機器は一般家庭で使う鍋と同じようなものだから」だと言うことでした。(鍋とは違うと思いますが…。)
台湾でも、「この商品は責任保険に入っています」と言う表示をよく見かけます。ですからそこまで特別なことでもないのではと思うのです。いずれにしても、その程度の投資もできなかったとは、元々財務的な体力もない会社だった/社長独断で使える金額が小さかったんだと思います。
入社半年でリストラに遭う
さて、いよいよクビになった時の話になります。まず入社して半年になったある日、「ボーナス」をもらいました。これは実際にはボーナスではなく、もともと入社時に話し合いで取り決められていたお給料です。
どういうことかというと、当時Tさんは外国人のいわゆるホワイトカラーの労働者としては最低賃金(月平均約48000元)を若干上回った程度の賃金で働いていました。でも毎月の受け取り方は、48000元ではなく、30000元だけでした。そして、差額の分は半年後にまとめて支給するということでした。この支給の仕方は社長の希望です。
当初入社前の確認で、こういう方法は違法にならないか、人材紹介会社の人とも確認したのですが、年間で最低賃金を越えていれば法には触れないということでした。そこで、規定の額は支給するという内容の書面ももらって、入社しました。
でもこの「ボーナス」という言葉には社長の考えが反映されているような気がします。この差額は、日本人のTさんにとっては、当初の取り決め通り「当然受け取ることができるお給料の一部」で、「台湾の法定上も出なければいけない金額」です。でも社長にとってはあくまで「ボーナス」、つまり成功報酬、リベートといったものだったのです。
この「ボーナス」に関しては、社長はなぜか日本円で支給すると言っていました。もしかすると、日本のお客様と円建てで取引して、その受け取った日本円の一部をそのままお給料に当てようとしていたのかもしれません。今となっては正解はわかりませんが…。
Tさんは、そのボーナスが支給される一日前に、会長が中国語で「何が日本円だ!!」と社長を怒鳴りつけているのを聞いています。ちょうどその頃は台湾元に対して日本円が若干上がっているときだったので、余計イライラしていたのかもしれません。
ボーナスを受け取った翌日の朝、社長に「辞めてほしい」という話をされました。理由は、私がまだ商品を1つも販売できておらず、新規事業の赤字をこれい以上広げられないということでした。
Tさん側の言い分としては、新規事業に関してはまだ売上が上がる段階ではなかったことは、社長に何度も提出している計画書にはっきりと書いていたのですが、あまりよく伝わっていなかったようです。そして何より、パトロンである社長の旦那さんが、もうこれ以上お金を出さないと言ったのではないかと推察します。
結局社長が何を考えているかわからなかった
この社長は悪い人ではないのですが、最後までTさんとのコミュニケーションが平行線だったと思います。Tさんは初めての台湾就職で、年配の台湾人社長が何を考えているのかわからず、社長は社長で上辺だけのきれいごとばかり言うことも多く、日本とのビジネスも、日本語も、分からないことを徹底的に確かめることが怖くて、分からないままにする人だったので、何をどう考えているのか最後までわからずじまいでした。
台湾人は日本人に比べて、言い方が直接的だと思っている人も多いかもしれません。でも、それは時と場合によります。台湾の年配の方に多いのですが、日本人ならはっきり言うことも異常にオブラートに包んで話すことがあります。もともと文化が違うもの同士が、さらにオブラートに包んで話をするメリットは全くないと思います。お互いのためになりません。
Tさんがクビになった主な表向きの理由は、「もうTさんのお給料が払えなくなった」と言うことでした。Tさんは外国人労働者で、最低賃金が台湾人よりずっと高いです。しかも担当しているのは主に新事業だったので、突然いなくなっても、既存のビジネスには影響がほとんどなかったのです。実際、このときクビになったのはTさんだけで、他の若い台湾人社員さん2名は会社に残されました。
Tさんは社長から、あなたは営業に向いていないとも言われました。でもTさんは実際には営業に向いていなかったわけではなく、社長と合わなかっただけなのではないかと思います。
お給料も、少なくともあと半年くらいは支給できたはずです。お金の件は社長よりも会長の方が、もう出したくないと言ったのではないかと推察します。スポンサーはあくまで会長の彼です。社長は20年の経歴があるとは言っても、ほとんどは会社経営ではなくフリーランスで仕事をしていたので、会社経営するような能力や自由にできるお金があったわけではなかったのですね。
他にも、他社で働いていてクビになった友人らを見てきて、それぞれ色々な理由があることもありました。でも、大概の場合は「社長(あるいは上司)と合っていなかった」ということが大前提になっていると思います。
社長にアルバイトを持ちかけられる
Tさんはクビの話をされたとき立て続けに、「急に収入がゼロになっても大変だろうから」という「あなたのため」「負担にならない範囲で」という話し方で、市場開発の正社員ではなく、アシスタント職としてのアルバイトの話を持ちかけられます。日本の取引先にメールや電話しなければいけないとき、Tさんが翻訳をしたり、電話をしてほしいと言うことでした。その対価として5万元払うというものでした。期間は次の仕事が見つかるまで、という話で、もしこのアルバイトの期間が二カ月分に達したらさらに1万元くれると言われました。(後でこの5万元は、台湾の法定で定められている退職金だと判明します。会社都合でクビにしたとき支払う退職金です。Tさんは社長に騙され、タダ働きさせられたことになります。)
外国人労働者は台湾労働部の就労ビザの許可によって正式に労働を認められるので、このアルバイトは厳密に言うと合法ではありません。この記事をご覧の方は絶対に真似しないでください。
ところでこのときTさんは肺炎にかかっていました。5月の高雄は日本の真夏並みに暑く、30度を軽く超える日も多いのですが、社長が自身の喉だか肺だかが弱いことを理由に、Tさんたちに冷房をつけさせませんでした。お昼にこっそり他の社員の子がしれっとつけることはありましたが、それがなければ基本的には冷房なしでした。そのうちTさんは暑さで弱り、食欲が激減してしまいました。
今のTさんだったら変に遠慮せず、「体調に関わるので冷房をつけたい」と言ったと思いますが、当時は「高雄が暑いのは最初からわかっていたことで、それを前提に、現地採用で自分の希望で来ているから、文句は言えない」と思い込んでいたのです。でもこういう考え方は間違いだと思います。現地採用で自分で好き好んで来たから文句は言えない、という考え方はとても危険です。自分の代わりは誰もいないのですから、みなさんは自分を大切にしてください。
さて、そうしているうちにTさんは風邪を引いてしまいます。すぐにクリニックで診てもらいましたが、その時「ただの風邪」と言われたので、普通の風邪薬をもらっていました。しかし一向に咳と微熱が収まりません。同じクリニックで3回目の受診のときにようやくインフルエンザの検査をしたところ、B型インフルエンザだと判明しました。すぐにタミフルが出されましたが、既に二週間以上経っているので全く効きませんでした。
その後社長のすすめで名医だと言われるクリニックに行きましたが、その名医のクリニックにはレントゲンの設備もなく、いくら通ってもやはり良くなりません。これではダメだということで、ようやく総合病院を受診し、肺炎と診断されました。総合病院では念の為ということで、他にも色々な検査をしました。
どんなに名医でも、上司のすすめでも、二週間以上咳が続いた場合は、設備がないクリニックは行っても意味がありません。不調が続く場合は必ず検査の設備がある大きな病院で診てもらうことをおすすめします。
Tさんはクビになった数日後、総合病院の試験結果が出て、病院から電話が来ます。そこで初めて、肺結核にかかっていたことが判明しました。その時点で、もうおかしな「アルバイト」は断るべきでした。それでもTさんは、先にお金ももらってしまったし、収入がゼロになるということが不安だったのでしょう、アルバイトを続けてしまうのです。彼女はのちにこのことを後悔しています。
会社の退職後の雑な対応
電話が勝手に解約された
さて、その後どうなったかと言うと…意外にも解雇された後、2ヶ月もしないうちに台北の仕事が決まったTさん。体調の方も、まだまだ薬での治療は必要でしたが、解雇されて1ヶ月後くらいには普通に仕事ができる程に回復し、バンバン履歴書を送って面接に行きました。その結果、複数の会社から内定が出て、台北の会社で働くことに決め、高雄から台北に引っ越します。新しい仕事では、日本の取引先を連れて、台湾北部・中部・南部の取引先を訪問することもあり、忙しく過ごしていました。
ところでスマホについてですが、当時は高雄に来てすぐに社長名義で契約したものを使っていました。名義変更したいと何度も社長に連絡していたのですが、全く協力してもらえませんでした。
ところがある日、突然スマホが使えなくなってしまったのです。電話会社に問い合わせてみると、契約者が契約者の意向で解約した、とのことでした。何度も社長に連絡していたのに名義変更をしてくれず、なんの連絡もせずに解約されてしまったのです。
個人のスマホではあったのですが、台湾の会社では会社のスマホを支給せず、個人のスマホを兼用させることも多いです。台湾国内の出張でも取引先や別の支店の社員との連絡用に使用していたので、もしこの解約があと数日ずれていたら、ちょうど日本の取引先のアテンドをする予定になっていたので、大変なことになるところでした。
健康保険料の領収書が送られてきた
退職後、高雄の会社に所得証明書を送ってくれるように頼んだところ、解雇されてから次の就職先に移るまでの間の、台湾の健康保険の領収書が一緒に送られてきました。
Tさんは自分で払うと言っていたのですが、社長が何も連絡せずに払っていたようです。先に一言言ってくれたなら、親切だと受け取ったかもしれませんが、やり方がとても雑な印象を受けます。
せめてもの罪滅ぼしのつもりだったのかもしれませんが、たった数百元肩代わりされても…、別になんとも思いませんでした。もし本当に申し訳無いと思っているなら、会長のレクサスを売って会社や社員のために使ってほしかったです。
そもそもこんなデタラメな会社をどうやって見つけたのか
Tさんは友達にこのクビになった時の話をするたび、「こんなデタラメな会社、一体どうやって見つけたの?」と聞かれます。
この会社を紹介したのは日系エージェントのI社です。
人材会社は紹介するのが仕事なので、入社した後その会社がどんなにおかしなことをしたとしても、それに対して何か手助けのようなサービスをする義務はないと思います。しかし聞いてみると、Tさんを解雇した高雄の会社は、また同社を通じて人を探すかもしれないということでした。これ以上被害者を出さないように、「おたくが紹介しているのはまずい案件ですよ」ということを伝えておきました。
I社は悪いことをしているわけではないのですが、他社に比べると「数撃ちゃ当たる」みたいな人材紹介の仕方をしていると言われています。以前日本人の友人どうしで話した時もそう言う話題になりました。応募の際はエージェントを頼りにしすぎず、自分自身でよく気をつけて応募・就職をすべきですね。
ちなみに後で聞いた話ですが、この高雄の会社は通常、やめる社員自身に後任を探させ、見つかるまで辞めさせないそうです。
ここまでお読みいただきありがとうございます。ご興味のある方は、続きの手続き・台湾政府機関である労働部の無料弁護士相談についてもご覧ください。(困ったときは労働部です!)
▼手続き・弁護士相談編に続きます!
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